合衆国映画よ、何処へ行く?


映画『ラスト サムライ』

        2004.1.14 Wac@映画生活に投稿  改稿2004.1.15


観てから数日経ちますが、暗い気分が抜けません。
いったい、誰に向けて作られた映画なのでしょうか?
作り手の情熱溢れる作品の細部と勢いには、いたく心打たれるものがありますが、作品世界には入り込めません。
トム・クルーズ氏の演じる主人公は、最初から正気とは思えませんが、物語の途中からは、まるで主人公の夢を見ているようで、とても主人公の正気の行動とは思えません。
確かに、美しく桃源郷のような世界ですが、風景が非常に平板で、それが余計に、ただ単に美しい風土ではなく、「桃源郷」のように見えてしまう。ファンタジーといえば聞こえがいいのですが、主人公のカルト的神秘体験のようにも感じられます。後半の恍惚感が、その神秘体験らしさを強烈に印象づけます。正気を取り戻すことなく、死地に赴く主人公に痛々しい思いを感じ続けました。
途中、登場する実物の寺社建築の見事さに、ふと異常なリアルさを感じて、混乱するばかりです。
それら以外の風景の平板さは、わたくしが「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズに感じているものと似ています。映画として観ている分に、少々退屈な風景なのです。
撮影監督のジョン・トール氏はかつて、映画『シン・レッド・ライン』で、吸い込まれるような神々しさを湛えた、観たこともないような凄惨さと神秘を、戦場シーンに描き出してくれましたが、この映画では、美しさの前に一枚ベールのかかったような、単調さとそっけなさがあって、臨場感を感じさせてくれません。
脚本のジョン・ローガン氏は、映画『グラディエーター』で、マルクス=アウレーリウス帝が、実子であるコンモドゥスに帝位を譲った歴史上のミステリー※1 から壮大なファンタジーを描き出して、これがまたなかなか現在の世界へ様々な示唆を与えてくれて、わたくしは結構感心したのですが、今作品では、明治天皇とカスター将軍の間の実際にはなかった人物相関を、絶妙な発想で繋げて、観客の想像力を膨らませてはくれますが、歴史として解釈しようとするとやや複雑すぎるし、物語としては魅力的な登場人物に欠けるように思いました。『グラディエーター』で、オリバー・リード※2が演じた役のような、清濁併せ呑む生々しい人間的魅力を持った人間が登場しないので、余計に主人公オルグレンの夢を見せられているような感じを受けたのだと思います。特に渡辺謙氏の演じる勝元にもっと臭みと毒が欲しいと思いました。あとは、ティモシー・スポール氏の演じるグレアム(この物語の語り手)にもっと存在感を持たせるか、原田眞人氏演じる大村に、その行動の動機となる背景を加えてくれれば、図太い物語が出来たのではないでしょうか。
とにかく、やや焦点の定まらない主人公の主観的印象を見せられているようにしか感じられず、それがまたひたすら情緒的なので、受け止め方に戸惑いました。
異人の目から見ればパラダイスというのは、最近の沖縄を舞台にした映画に感じるものと似ています。『ナビィの恋』や、『ホテル・パラダイス』、もっと極端な例では、『おぎゃあ。』とか。

甲冑姿の侍と近代化途上の軍隊との戦いは、ビジュアル的には大変興味深いのですが、黒澤監督の『乱』『影武者』、旧ソ連のセルゲイ・ボンタルチュク監督の『戦争と平和』『ワーテルロー』、果ては『バリー・リンドン』やら『エクスカリバー』やら様々な映画※3 のイメージからの参照が多く、既視感の方を意識してしましました。しかし、ここで例に挙げた映画たちは、そもそも作られた事自体が奇跡のような超大作ばかりで、そういったものに肉薄するだけのイメージを作り上げることが出来たとは、監督のズヴィック氏と製作者でもあるクルーズ氏の情熱には恐れ入ります。しかし、劇場用プログラムにプロデューサーの紹介だけで見開きまる1ページかかるほど多くのプロデューサーが関わって作られた映画※4 としては、本当にどういう観客を対象に作られた映画なのか謎です。
アメリカ人にとっては、西部劇の延長上に捉えることも出来るでしょうが、どちらかといえば『天国の門』や、『ギャング・オブ・ニューヨーク』のような自虐的というのは言葉が悪いですが、自戒的歴史観を提示する作風に近く感じられます。イラクの統治が切迫している現在に、もう一度日本の占領について考えてみようとする意図が皆無とはいえないでしょう。

以上が、作品に対する違和感。

強烈に印象に残ったことは、トム・クルーズ氏のなで肩。侍に憧れるのも分かる気がします。
そして、オルグレン(トム・クルーズ)がたか(小雪)に謝罪しようとする場面などは、とても誠実な感じがしていい場面だと思いました。異言語間のコミュニケーションを必死で取ろうとするトム・クルーズ氏には、かなり説得力のある切実さが漂っています。しかし、小雪氏はどことなく、ナターシャ・マケルホーン氏に似てませんか?十分ハリウッドで通用しそうなムードがありますが、もっと、毅然とした態度と怒り、悲しみに相克する、激情を秘めた人物像として描かれればインパクトが増すだろうにと思えてなりません。かの女には、故フランケンハイマー監督の作品に出て欲しかった。
そして、明治天皇がいい。一番いいキャラでした。

更に、最も痛切に感じたのは、ギャトリング・ガンというのは何と醜悪な武器だろうということ。トンプソンやカラシニコフなど洗練された自動銃器は、映画の中でついつい甘美な魅力を放ってしまいがちだけれど、ギャトリングというのは剥き出しの大量殺戮兵器だということが良くわかる。人類史上、機関銃の発明が大量殺戮へのパンドラの箱を開けてしまったのだ、ということを改めて思います。大量破壊兵器の撤廃は、地球上すべての機関銃を撤廃するまで終わらないでしょう。日本における、刀狩りや廃刀令の歴史的意味をもう一度考え直してみたいと思います。

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『ラスト サムライ』(2003、エドワード・ズウィック監督 THE LAST SAMURAI
2004.1.11 新宿ピカデリー1にて
































※1
コンモドゥス帝までの100年間は、養子による帝位継承という方法がとられ、実際に帝位が実子に世襲されることはなかった。また、この間の年月がローマ帝国の最も平和な時代である。映画『グラディエーター』では、哲人皇帝マルクス=アウレーリウスによってローマのコロセウムで剣闘士同士の殺し合いを見世物にすることを禁じられたことが示されるが、コンモドゥス帝は、民の心を掴むために、再びコロセウムでの殺し合いを見世物として催す、と物語は進んでいく。尤も、コンモドゥスがマルクス=アウレーリウスを暗殺する、というのは全く出鱈目だが。

※2 オリバー・リード氏は僻地で剣闘士の戦いを見世物にしている興行主、奴隷商人として登場する。

※3 『影武者』(80.日本、黒澤明監督)
『乱』(85.日本/仏、黒澤明監督)
『戦争と平和』(65−67.ソ連、セルゲイ・ボンダルチュク監督)
『ワーテルロー』(69.伊/ソ連、セルゲイ・ボンダルチュク監督)
『バリー・リンドン』(76.英、スタンリー・キューブリック監督)
『エクスカリバー』(81.英、ジョン・ブアマン監督)
どれも米国製ではない。


※4 『ラストサムライ』のプロデューサーはクルーズ、ズウィック両氏を含めて、総勢10名である。

---その他の参照映画
『グラディエーター』(2000.米、リドリー・スコット監督)
『シン・レッド・ライン』(98.米、テレンス・マリック監督)
『天国の門』(81.米、マイケル・チミノ監督)
『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001.米、マーティン・スコセッシ監督)
『ナビィの恋』(99.日本、中江裕司監督)
『ホテル・パラダイス』(2002.日本、中江裕司監督)
『おぎゃあ。』(2002.日本、光石冨士朗監督)

       

       
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