黒い影、白い光


映画『解夏』

        2004.3.4. Wac@映画生活に投稿  改稿2004.3.22.



陰翳の深い画面に見入ってしまう。
石畳や、緑の質感が重くしっとりとしていて、手応え十分だ。

多くは、少し遠めの位置から主人公らを望遠の長い画で捉え、奥行きの深い光景の中に主人公らがくっきり浮かび上がり、地に足をつけ、すっくと屹立している。

生きることの重みがずっしりくる。

雨の力も素晴らしい質感。

僧侶からお茶を勧められ、宗門の戒律の謂われを説かれる場面には、画面の隅々に漆黒から始まる陰翳の階調が見事に収められ、心の少し奥まったところにゆっくり沈んでいく言葉がいとおしい。

これほど陰翳を見事に捉えた撮影、照明の職人芸が、こんなところに脈々とあるのか。

わたくしは、磯村監督の『群青の夜の羽毛布』で、この監督の暗く微妙な階調を好む感性に興味を持ったが、あの映画では、何故か画面のヌケが悪いのが気になって仕方なかった。撮影監督はベテラン長田勇市氏である。疑問だった。今はもうない東映の直営館(新宿東映パレス2)で観たからリファレンスとしては信用してよいはずなのに・・・(しかし、『群青〜』は東映作品じゃないか。)
本作『解夏』では撮影は柴主高秀氏。長田氏門下だそうだが、あの『ラヴ&ポップ』を撮った人とは。しかし、陰翳だけでなく確かにヌケのいい画面にすっかり魅了された。曇天の日本を描こうとするのも磯村監督のこだわりか。とにかくしっとりしている。
おまけに美術の質感のきめ細やかなこと。どうしてまた、こんな伝統的な日本映画の美が、こうやって見事に作品になっているのかしら。

このところ、すっかり娘の寺島嬢に魅了されていたが、久々に観る富司純子さんの気品に眩暈がする。藤純子時代の作品は、何かがおかしいおかしいと違和感を感じながらも1本観るごとに、最早逃れようの無い中毒になっていくことが摩訶不思議であったが、ここに一片の疑いようも無い女優の立ち姿、振る舞いの集大成を見た。
また、僧侶の松村達雄さんのあまりの僧侶ぶりに芸道のリアリズム、ヒューマニズムの真骨頂を見る。適度に俗的であり、他人の不幸に思わせぶりに同情しない、絶妙の距離感、説教臭くなく、己の節度をわきまえておる。

外国映画で、神父、牧師それぞれに様々な人間像を見せられてきたが、日本映画になかなか、見事な僧侶像は少ない。それが長崎の映画に出てくるとは。

長崎は、恐らく良い面だけが描かれているのであろうが、人も風景も一体となって胸に沁みる。
この故郷をもったことが、主人公の生にとっての情け。もちろん、教育学も、恋人も。
でも、わたくしも故郷を持つ人間だが、帰る度に一つ二つずつ見慣れた風景の無くなっている哀しさがかえって身に沁みてしまった。

教育学と郷土史。ここに込められた思いは上辺だけのものではあるまい。単なる設定ではない、大きなメッセージと見た。

大沢たかおさんは、時に熱が入りすぎる演技に、少し距離を感じていたが、この多くを語らない男には適役だった。
石田ゆり子さんは、今の月9『プライド』で、随分大人のポジションに立ち、やや若年層向けのメロドラマに唯一の客観的視点をもたらしていて感心していたところだったが、そのかの女が、まだこれだけ初々しいのだから、嬉しい。その姿をフィルムに残せてよかった。

これでもかと言うくらい、映画。投影される光のドラマトゥルギーは、失明するものに薄明の光を与え、われら見る者に陰翳のかけがえの無さを魅せる。

これが月9になるのいいじゃない。TVは発光体のドラマトゥルギー。どう撮るか楽しみ。眼力の菅野さん。眼が多くを語らない謎めいた藤木さん。それはそれで。


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『解夏』(2003、磯村一路監督)
2004.3.1.(映画サービスデー)有楽町スバル座にて

























『群青の夜の羽毛布』(2002)






『ラヴ&ポップ』(1998、庵野秀明監督)



































TV連続ドラマ『プライド』(2004、フジテレビ、野島伸司脚本



っていうか、
この註をつけている今日、最終回だったんだけれど、
野島さん、そりゃねーぜ。
この映画観てから、
『プライド』最終回を観た人は、さぞや唖然としたことでしょう。
       

       
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