国家と助兵衛


映画『ふくろう』

        2004.3.19. Wac@映画生活に投稿  改稿2004.4.8.


ブレヒト級の新作戯曲の初演に立ち会ったような感動がありました。
原作ものが多い昨今の映画界で、これは異例の強さを持った作品ではないでしょうか。
既に戯曲は繰り返し上演されうる魅力を備えていると思います。
その上で映画としての魅力もまた凄い。

舞台がセット一つですから、映画的感興に乏しいかといえば、そんなことはありません。俳優さんたちが圧倒的な迫力ですもの。確かに俳優さんの芝居も演劇の様式に近く、アトリエ公演を最前列でみるような感じがしないでもないですが、この映画の怖いところは、そのような密室的臨場感ではなくて、ほとんど悪意に近いものを感じる強烈なクロース・アップの数々です。アトリエ芝居でどうらんの匂いを嗅がされる異界の感覚とは別の、禍々しいエロティシズムが俳優の皮膚や白粉のきめに纏わり付くキャメラからも漂ってきます。

大竹しのぶさんは『黒い家』では、演技様式と映画との間に亀裂が感じられましたが、この作品では、見事にキャメラに納まっております。監督の狙いにブレがないからでしょう。
伊藤歩さんは同世代の女優さんから最大限の嫉妬を受けねばならないでしょう。
中年の男たちはみな傑作な腹芸を披露してくれますが、意外や、若手の池内万作さん、蟹江一平さんに物凄く興味を持ってしまいました。

さて、この作品をブレヒト級と称したのは、その助兵衛度、猛烈な国家階梯への批判からも妥当だと思います。今どきの映画に比べて、とりわけエロい映画では全くありませんが、人間の助兵衛性の根幹を突いています。
舞台は1980年ごろに設定されています。
最近相次いで80年代の青春を扱った映画が公開されていますが、何と見つめている世界が違うことでしょう。
1980年と時代を特定しながら、物語は時間を超えた普遍性へと肉薄していきます。(実はまだ終わっている話ではないのですが。)

(最近、映画を語る際に、ネタバレ厳禁と言われることが多く、どこまでがネタバレなのか悩ましい日日です。話している相手がこれから見る映画に関して、何か言おうとすると「何も言わないでぇー!」と言われた経験ありませんか?ネット上の掲示板などでは、更にやっかいです。別にネタだけが映画を観る楽しみじゃないと思いますが。
ともあれ、これは微妙なので見たい方だけ見れる様にしておきますが、この映画が舞台を1980年代に設定した見事さは、この話が、その当時の問題だけでなく「満蒙開拓団」の昔に遡っていくことにあります。)         読む場合は反転させてください


「棄民」の側から世の中を見れば、かように歪んで見えるのだろうか?

しかし、新藤監督の創作の根底にあるのは、単純なイデオロギー的なものではなく、生命のエロスそのもののような気がしてなりません。

効果音の馬鹿馬鹿しさ。時折挿入される風景シーンが、世の中に対する体を張った悪戯のようです。

音楽は林光さん。というか林さんしかありえないでしょう。嬉々とした劇伴。挿入歌もアイスラーのように高らかと。

途中、何やらやけにあっけらかんと屈託の無い行水シーンで、伊藤歩さんのヘアヌードがあります。
ちょっとあまり見たことが無いような伸びやかな場面です。こういう風に映画の表現は切り開いていかれるのかと唸りました。
こういう画が撮れるのも、こういう話が書けるのも、すべては、御歳90歳を越える新藤監督の助兵衛魂の賜物だなぁ。

とまれ、監督のおっしゃる「健康な考えと肉体」をとくとご覧あれ。


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映画『ふくろう』(2003、新藤兼人監督)
2004.3.12.シアター・イメージフォーラムにて

















       

       
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